比叡山延暦寺見聞録
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奥比叡八景
弁慶水 弁慶修行の比叡の霊泉

東塔にある法華総持院から北西方向に坂道をほどなく行くと、老杉の間から水屋形が見えてくる。智証大師円珍(814~891)の住坊であり比叡山で最古の仏像とされる千手観音像(重要文化財、延暦寺蔵)が祀られていた山王院の付近である。

ここは豊富な地下水が湧出している。この閼伽水は「千手水」「千寿水」「弁慶水」など多くの異称を持つ閼伽水であるが、それらの由来を『山門堂社由緒記』で見てみると――。

  • 山王院千手大士の閼伽水なり。(千手水)
  • 寛平法皇、かつてこの水を掬(く)み勅して千手水(又は千寿水)と号す。(千寿水)
  • 武蔵坊弁慶、一千日夜に勇力を大士に祈り、この水を用って浴身す。(弁慶水)
  • 平相国清盛、熱病の時この千手水を以って浴す。

奥比叡ドライブウェイ 起点(延暦寺第一P)より 300m

西塔 弁慶のにない堂 義経都落ちの道

比叡山西塔には法華堂(ほっけどう)と常行堂(じょうぎょうどう)が並んで建つ。ふたつの堂はわたり廊下で結ばれ、かつて西塔・武蔵坊にいた荒法師で源義経の腹心となった弁慶が、このわたり廊下を担ったと伝わる。

常行堂は阿弥陀如来を本尊とし、90日間本尊のまわりを行道しながら念仏する行、「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」のために建てられた。一方、法華堂は「半行半坐三昧(はんぎょうはんざざんまい)」のためのもので、普賢菩薩を本尊として、法華経を誦しては周旋行堂し、坐しては中道実相を思惟(しゆい)することを目的とする。

弁慶ゆかりのわたり廊下をくぐると石段の向こうに釈迦堂が見えてくる。

奥比叡ドライブウェイ 西塔駐車場より 徒歩3分

峰道大師と比叡の大護摩(開けるびわ湖と近江富士)

伝教大師40歳のご尊像が「天台薬師の池」を眺めるようにして立つ。台座を入れた高さ11メートル。大師が比叡山に一乗止観院(根本中堂の前身)を開いてから1200年目を慶讃した、昭和62年(1987)に奉安された。

この年8月、諸宗教者が教義の違いを超えて世界平和のためにともに祈りを捧げる「比叡山宗教サミット」が開催された。平成19年に開催20周年を迎え、地球規模での解決が求められる環境問題が初めて、討議対象となった。大師のご遺戒「おのつからすめは持戒の此山はまことなるかな依心より依所」の先見性が注目されている。

同サミットの精神を引き継ぎ平成2年(1990)から大師ご尊像前で、世界平和・除災招福を祈願する「比叡山大護摩供大法要」が営まれ、毎年3月13日、約20万本の護摩木が焚かれる。

奥比叡ドライブウェイ 起点(延暦寺第一P)より 仰木ゲート方面2.5km 峰道駐車場内

比叡の大護摩
二河の白道 極楽への道

峰道の伝教大師像を後にすると、車道が30㍍ほど直線に伸びる。すぐ横に千日回峰行の行者道が並行して走る。右手には“貪欲(とんよく)の洪水”琵琶湖を見、左手には“瞋恚(しんに)の炎燃える”京都市街が広がる。

中国浄土教の大成者、善導(ぜんどう)(613~681)が『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』のなかで、信を得て浄土に往生する姿を「二河白道」で喩えた。

人が西の方に行くと2つの河に出合った。川幅は無限で底がない。両河の間には真っすぐに走る幅4、5寸の細く白い道があるのみで、左右からは水と火が絶えず押し寄せてくる。後ろからは群賊悪獣が追う。引き返しても、立ち止まっても、前進しても、死を免れることはできない…。娑婆世界の東岸(東塔)から浄土の西岸(横川)に向かって貪(とん)愛(あい)や瞋憎(しんぞう)にとらわれず、浄土往生を願う清浄の心、白道を進めば、安楽の世界に至ることができると説いた。

付近にある黒谷青龍寺で学んだ法然は「偏(ひと)へに善導一師に依る」(『選択本願念仏集』)と述べ、親鸞は「善導独り仏の正意を明らかにせり」(『正信念仏偈』)とした。

奥比叡ドライブウェイ 起点(延暦寺第一P)より 仰木ゲート方面へ約3km

横川の僧都 阿弥陀ヶ峯

日本の念仏浄土思想を大成した恵心僧都源信(942~1017)がこの峯を拝して山越(やまこしの)弥陀(みだ)を感得したことから「阿弥陀ヶ峯」と呼ばれている。正式名称は水井山。恵心僧都の坐禅石もこの付近にあると伝わる。

恵心僧都は大和(奈良県)の出身。慈恵大師良源に師事し、その学才をうたわれたが、比叡山の世俗化を嫌って横川に隠棲し、修行と学問に専心した。44歳のとき、浄土往生に関する問題点を論じた『往生要集』(985)を著し、流転輪廻の迷いを捨てて阿弥陀仏の極楽浄土に生まれることを勧めた。

仏の教えがあるのみで修行も悟りもないとされる末法到来を永承7年(1052)にひかえ、「覚(さと)り易(やす)く行じ易い」浄土教は、不安な時代の人びとの心をたちまちにしてとらえた。

奥比叡ドライブウェイ 起点(延暦寺第一P)より 仰木ゲート方面へ約4.5㎞

もみじのトンネル 通り抜け

弁慶水、にない堂、峰道、二河白道、阿弥陀ヶ峯と辿ってきた奥比叡八景。奥比叡ドライブウェイ(延長11.82㌔)を東塔地域の弁慶水から山麓・仰木方面に5㌔ほど北に向かうと比叡山三塔のひとつ、横川に着く。横川は『源氏物語』の中で重要な役割を演じる「横川の僧都」こと恵心僧都源信の住したところ。横川までの道すがら、車道の両側に植えられたもみじの新緑が、5月の爽やかな風に揺られてすがすがしい。

奥比叡参詣自動車道が開業したのは昭和41年(1966)。当時、比叡山はそのほとんどを杉や檜が占め、ドライブウェイ沿線へのもみじの苗木植樹が本格的に始まったのは2年後の昭和43年のこと。延暦寺のある住職が西国の寺院を巡ったときに目にしたもみじ並木の美しさを比叡山でも再現してみたいとの思いが募った、という。

植樹開始から40年あまり経過した現在、ドライブウェイ沿線には3000本近くが植えられている。新芽から落葉まで微妙な赤色の変化が美しいオオモミジ系のむらもみじややまもみじなどである。

大きく成長したもみじの木は細い枝先までもたくさんの葉をつけている。その可憐で季節ごとに変わる色彩は、比叡山を訪れるものに鮮やかな季節感を知覚させる。

奥比叡ドライブウェイ沿線、横川エリアから西塔エリアにかけて



(日本一)やさしい観音 千手さま

入唐求法の旅により当時中国で興隆していた密教を日本に伝え、天台密教(台密)の発展の土台を築いた慈覚大師円仁(794~864)が開いたとされる。旅の帰国船が大風に遭遇し南海に没せんとしたとき、観音力を念じたところ毘沙門天が現れて嵐が静まったとの霊験から、聖観音像と毘沙門天が祀られる。

説話をひとつ-。如意輪観音の化身として信仰をあつめる慈恵大師良源(912~985)のもとには当時も数多くの人が訪れた、が、大蛇が参拝の邪魔をして人びとを困らせた。そこである日、良源は大蛇の神通力を試してみた。

良源が「どれだけ大きな体になれるのか?」と問いかけた。すると大蛇は7倍半もの大きさに膨れ、横川中堂にぐるぐると巻き付いて堂宇を大いに揺すってみせた。

再び良源が「大したものだ。では、どれくらい小さくなれるか?」すると大蛇は掌に収まり、良源は池の底に埋めて、悪を封じたという。現在、石段下にある龍ヶ池である。

大展望 手にとるほどの大びわ湖・(びわ湖展望台)

奥比叡ドライブウェイ 「延長11.82㌔」を巡る奥比叡八景の最終回。

よく晴れた日に展望台に立ってみた。山麗仰木地域や対岸各市(野州・守山・草津)の田園風景が一望できる。

奥比叡参詣自動車道終点の仰木地域は12世紀以降に集落が形成され、13世紀には延暦寺領となる。 「横川の僧都」こと恵心僧都源信に帰依した源満仲がこの地に滞在した。横川中堂に至る「仰木道」や恵心僧都の開基と伝える寺院が数多くあり、今なお元三大師信仰がさかんである。山麓から琵琶湖に向かってなだらかに広がる棚田の風景はじつに美しい。

これまで東塔地域の弁慶水を皮切りに、峰道の大師像、にない堂、二河白道、阿弥陀ヶ峯、もみじのトンネル、横川中堂と巡ってきた。奥比叡の八景を、魂の救済を求める人びとの祈りがこめられた「信仰の道」であったことに思いをいたしてみると、展望台から望む田畑や集落や琵琶湖の景色は、三世を生きる人間と壮大な宇宙の姿の縮図にも見える。

びわ湖展望台